よく眺めると、母の瞳を取り囲んでいた白い縁取りが消えている。何度も覗き込んだ。
朝の柔らかな光の中、茶色い瞳はしっとりとして澄みきった琥珀のように輝いていた。
母は七十歳を過ぎた頃、うつ病になった。その頃からだろうか、気がつくと母の瞳の周りが薄っすらと白い幕で縁取られているように見えていた。
うつ病や認知症になる前の母を思い出すと酷く可哀想だった。病は母の記憶を失くし、全ての能力をどんどん衰えさせてしまう。母はその恐怖を日々味わっていたのだろう。
相撲取りの曙の優勝した模様をアナウンサーの言葉そっくりそのまま、ティッシュペーパーに化粧品の眉墨で書いていた。その頃、話題になっていた神戸の殺傷事件についてもニュースで伝えられている通りの文章が、複数行だが書き取られていた。何故そんなことをしているんだろう。テレビで水族館の放送を見ていると鉛筆を使って、その辺にあった白い紙の上に、魚の丁寧な絵と解説文を描いていた。
特に不便はなかったが、側で共に生活をしているわたしは、母の行動は時に不可解だった。
ある日のニュースで老人ホームを取り上げていた。薄暗い廊下のパイプ椅子に呆然と座る老人を見て、
わたしは直ぐにそう答えたが、母はわたしの声を全く聞いていないようだった。
七十四歳、うつ病は母の感情を全て無くし、その後、認知症へと名前を変えた。母の病は、母娘の苦悩に塗れた生活をまるで燃え尽くすかのように襲いかかった。
八十歳を超えて、体力の衰えた母を毎朝ゆっくりと抱いて起こすようになった。
そして、母の透き通る瞳に気がついた。瞳の周りの白い幕は何だったんだろう、綺麗に消えていた。
わたしは母の瞳を見るのが大好きになった。言葉を失った母だったが、輝く瞳はいつも優しさに満ち、愛を注いでくれていた。
十五年の介護を終えたわたしは、時々言いようのない寂しさに襲われることがあった。
ある朝、顔を洗って鏡に目が向いた。水道水と涙の混じった瞳が輝いている。
よく眺めると、鏡の中の瞳は朝日を受けた母の瞳だった。