エッセイを描こうとした時
2021年 11月 28日
・人にとって真実とはなになのか
・生きる意味
・生きることに誠実に向き合う
・視点を作者とする
エッセイを描くことは、私にとって酷だった。
真実は私を晒し者にするように両刃の刀で突き刺すように感じた。
それでも勇気を振り絞って真実を描こうとしたんだけどまだまだ心の抵抗が文章に表れている。
先日描いた子供時代の1シーンもそうだった。
小学校の5年生の女の子が母に養父との離婚を迫り、軽く断られてしまう。
4歳の頃母は再婚したのだが、それからは養父がいる時間には女の子は母に接するのを遠慮していた。
なぜそうなったのか、なぜ養父といるのが嫌だったのか、養父は虐待とかするような人ではなかったしどちらかというと自分の子供として可愛がってもらっていたんだと思う。そんなことをちゃんと描きたかった。
母に4歳からの思いをやっとのことで伝えたのにと、夜家を出た。母は追ってこない。
家の周りをぐるりと回って行く当てもなくしょんぼり帰る。
今度は体の弱かった母が持っていた注射器を出してきて空気を入れて自殺すると騒いだが、あっという間に取り上げられた。怖くてできないんだけど。魔が刺すこともあるだろう。
自分の勉強机のスタンドをつけて、鏡を置いて舌を噛んでみた。
暗い闇の中にスタンドの明かりが私を照らしている。
舌が紫色になった。冷たくなった舌を口の中に直した。
ひょっとしたらその時に大地震でも起きて棚の上の何か大きなものが私の頭の上に落ちてきたら本当に噛んだかもしれないが。
いやいや、私のことだからすぐに避けて、それでも当たりそうなものが落ちてきたら両手で払って胸を撫で下ろしているだろう。
夜道を一人歩いた時も足早に歩いていたに違いない。
そうなんや。全然死ぬ気なんてなかった。
このことをエッセイでどう描くのか?
その頃の母は茶道や華道に夢中になっていて人の世話をよくして明るくて人気者だった。母の豊かな愛は私にも注がれていたのだろうが、私の寂しさや大変さは理解できなかったのだと思う。
ユル・ブリンナーにも似て養父の頭がツルツルで蛍光灯が写っていた。食事中に一緒に笑ったり。料理は養父の方がまめに美味しいものを簡単に作ってくれたことが懐かしかったり。大きなおにぎりがとってもおいしかったことや細かくカットされた野菜がいっぱい入った中華風の焼き飯やいつも大きな手のひらでワシ掴みの鰹を出汁に入れた煮物とかを食べたいといえば喜んで作ってくれた。それでも気むづかしいところもあっていつもどこかで気を遣っていた。5歳の時に宗教のお勉強中の人に悪戯されたことも男性を嫌いになる原因だった。養父はそんな人じゃなかったのに男だった。さぞかし私はしんどかったんだろう。養父がいたから生きてこれたんだろう。
それなのに私は母と二人の暮らしに憧れていた。
その暮らしは私が40歳になるころ母が認知症になり叶えられた。


